ストーリー
存在感を放つ器で、空間に遊び心をプラス-アサ佳(あさか)さん【岐阜県土岐市】
立体感のある構造や、ビビッドな色使いなど、一度目にすると深く記憶に刻まれる印象的なアサ佳さんの作品。「手に取った時に、マックスの感動を与えたい」と話す通り、二重構造になった独特の立体的なフォルムや色合いに引き込まれる作品ばかり。インテリアとして、食器として、さり気なくそこに置くだけで、周りの空気を変える強烈な存在感をまとっている。
アサ佳さんが陶芸家を目指すようになったのは、大学時代。卒業後の進路を考え始めた時、当然のように企業に就職し、会社員として人生を終えることに、ふと疑問と焦りを感じた。漠然と「ものづくりがしたい!」と思っていた時に浮かんだのが、通学路にあった陶芸教室だった。はじめて土に触れた瞬間、自分が陶芸家になるイメージが鮮明に浮かび、「思い描いていた理想と、悶々としていた現実の隙間が一気に埋まった気がした」というアサ佳さん。
大学卒業後、社会人としての常識を身に付けるために一度は建設会社に就職。3年間勤務した後、多治見市陶磁器意匠研究所へ入所した。
現在は土岐市の自宅兼工房で、作陶活動に励むアサ佳さん。
「プロとアマチュアの最大の違いは、提案できるかどうか。アマチュアは自己満足でも良いけれど、プロは作品の先に使う人がいることを意識しなければ。その上で、陶芸家としてプロである以上、作り手としての“個”を表現する作品でなければいけない」と語るアサ佳さん。その発想源は、身近な植物からSF映画に登場する戦艦まで実に幅広い。例えば、水面に映る光の揺らめきをモチーフにした鋳込みによる二重構造のカップや、SF映画からインスピレーションを受けたという個性的なフォルムの飯碗など、実にバラエティー豊か。大学の卒業制作では、やきもので積み木状のスピーカーを作るなど、固定概念にとらわれない作品づくりを続けるアサ佳さん。「土岐というやきものの本場だからこそ、伝えられることがあるはず」。独特のフィルターを通して、陶芸の未知なる可能性を追求している。
埼玉県朝霞市出身。大学時代、就職してサラリーマンになることに違和感を抱き、通学路にあった陶芸教室に通い始める。土に触れた瞬間、陶芸家になることを決意。大学卒業後は社会人としての常識を学ぶため、建設会社で経理を担当。3年間勤めた後、25歳の時、多治見市陶磁器意匠研究所へ。2013年独立。土岐市の自宅兼工房で作陶中。
土に触れた瞬間に開けた陶芸家への道
固定概念にとらわれない発想で陶器の可能性を追求
プロフィール
アサ佳(あさか)さん
伝統の型染めで生み出される暮らしの布-山内染色工房 山内武志さん【静岡県浜松市】
日本の伝統的な染色技法の型染めは、デザインを決め、型紙を彫り、のりおきをし、染め、色止め、洗いと、単純な型染めでも多くの工程が必要とされる。
「型染めは模様がきっぱりしていて、潔い」と山内さん。
山内武志さんが生み出す染め布は、伝統的な型染めならではの意匠とともに、やさしい肌ざわりや使い心地など、機能性も考えられているのが嬉しい。なかでも、山内さんのオリジナルの意匠「富士山」「山月日」といったモダンなデザインは、若い人も含めて、幅広い世代に支持されている。丸や四角を組み合わせた幾何学模様、家紋や紅型をアレンジした意匠と、染め色の多彩な組み合わせは見るものを惹き込む独自の世界を感じ、つい手に取ってみたくなる愛らしさがある。
創業文化十三年、山内平兵衛刺繍業を浜松に開業す。
型染めはすべての工程が大切
「すべての工程がおろそかにできないんですよ。一つひとつていねいにやればちゃんとした作品になります」と自らを「染色工」と呼ぶ山内武志さん。
実家が染め物をしていた縁で人間国宝の 故芹沢介(せりざわけいすけ)氏に師事し、6年間型染めを学んだ。
型紙をていねいに彫るから、その工程であいまいさが整理され、形ができ上がるからだとか。
手ぬぐいの型紙だけでも200種以上あるという。同じ型紙でも染め方や生地で雰囲気が変わるのが型染めの奥深さだ。
引き染めは刷毛で2、3回は染料を重ねて手間も時間もかかるが 「洗いの工程を終え、引き上げた瞬間は感動しますね」と話す。山内さんの型染めは、伝統的な家紋や吉祥紋様、紅型などを下敷きにしながらも、森羅万象を象るような、生き生きとした力強さを伴って独自の美の世界に結実している。
暮らしで心地よい存在を放つ型染めのもの
山内武志さんの人柄そのままの気取りなく、朗らかに在る一枚の染め布は、わたしたちの暮らしのなかで、安らぎと愉しみ、生きる歓びを染め続けてくれる。
プロフィール
山内武志さん
以来、屋号ぬいやと呼ばれ現在に至る。
明治時代、山内嘉蔵縫いの針を置き、染めの刷毛持ち、藍瓶に藍建て紺屋を始む。
当主山内武志は、型絵染人間国宝、芹沢介に師事、
六年間修行後、浜松に戻り日常のさまざまな染物の要望に応え、又創作作品制作にも取り組む。現在も工房に立ち、染めと向きあい続けている。
◎略歴
1938 静岡県浜松市 紺屋に生まれる
1956 東京 蒲田の芹沢染紙研究所に入門
1959 日本民藝館 日本民藝館賞受賞
1962 地元浜松に帰郷し、ぬいや染物店家業をつぐ
1967 山内プリント研究所としてスクリーンプリント製作も始める
1976 フランス グラン・バレ美術館の「芹沢けい(金へんに土ふたつ)介展」 展示準備に同行
1978 浜松市美術館での「芹沢介の身辺 -世界の染と織展-」
展示準備を任される
山内プリント研究所から山内染色工房の屋号へ
(スクリーンプリント製作終了)
2005 型染め商品と諸国工藝品の販売店「アトリエぬいや」を開業
2011 日本民藝館 奨励賞受賞
現在 全国各地で展示会を開催
生命の巡りがもたらすミツバチの贈り物-Beehive(ビーハイブ)【静岡県伊豆の国市】
初夏の早朝5時、熱海の山間に広がるみかん畑では、「Beehive」の村上康裕さん・亜紀子さん夫妻が採蜜作業に追われていた。康裕さんが巣箱から蜜が蓄えられた巣枠を出して運び、亜紀子さんが手早く分離器にかける。息の合った作業により透き通った滴が一斗缶に注がれていく。スプーンでひとすくい口に運ぶと、繊細な甘さの後に柑橘のさわやかな香りがふわりと広がった。 ミツバチは、運んだ花蜜に体内の酵素を加えて果糖・ブドウ糖へと変化させ、羽ばたきで風を送り余分な水分を飛ばしてゆっくりと蜜を熟成させる。村上さん夫妻は、ミツバチの力で「完熟するまで」待つ。また「高温加熱をしない」「添加物を加えない」「抗生物質を使わない」、つまり自然そのままのはちみつにこだわっている。実はミツバチは繊細な生き物で、伝染病によって巣箱すべてが全滅することもあるという。しかし予防のための抗生物質は使わず、その分、きめ細かな観察や巣箱の管理などに手間をかける。「ミツバチ一匹が一度に運ぶ蜜はほんのわずか。それを自らの体を使って熟成させる。その生態を毎日見ていると、これは奇蹟の一滴だと謙虚な気持ちになるのです」と語る康裕さん。将来は「ミツバチの不思議な生態を通して、自然のつながりを伝えていきたい」と笑顔を見せた。
春は伊豆半島、夏は北海道で養蜂と採蜜を行う村上さん夫妻。主に手入れが行き届かなくなった休耕地を利用し、自然のつながりを意識して取り組む。ショップではさくら、菩提樹、みかん、百花蜜、アカシアなどのはちみつを試食しながら、お気に入りの蜜を購入できる。ショップの隣ではビオトープを造園中。
抗生物質を使わず、添加物も一切加えない純国産のはちみつは、健康に気をつかう方への贈り物にも喜ばれる、自然のままのおいしさです。
生命の巡りがもたらすミツバチの贈り物
緑豊かな山里にある養蜂園&はちみつショップ
プロフィール
Beehive(ビーハイブ)
温もりの中に用の美を表現する木工作家-木もの NAKAYA(こもの なかや)【静岡県富士宮市】
作品のスマートな佇まいはもちろんのこと、元々は大手企業の機械設計技師だったという経歴にも興味をひかれ、木工作家の中矢嘉貴さんを訪ねた。
「山や川が大好きで、自然素材を使った一生の仕事を模索していた」という中矢さんは今から12年ほど前、機械設計の仕事から木工の道へ転身。岐阜県の高山で家具職人として経験を積んだ後、富士宮に移住し、今は普段づかいの小物を中心に制作する。
初めは設計や家具造りで培った器用さを活かし、精巧でかっちりとした作品を作っていた。だがここ半年くらいは、台風の倒木や間伐材などの生木を用い、自然乾燥による造形美を引き出す作品に没頭中。檜や桜、杉、時には欅や柿など、近所で不要になった身近な木材を使うため、それぞれの木の色や硬さの違いによって、でき上がりの形や手ざわりに違いが生まれるのも中矢さんの器の魅力だ。「富士山が毎日見える、自然いっぱいのこの町に住んでいるうちに、自然のなりゆきに任せるような作品づくりもいいかなと思うようになって」と話す中矢さん。無骨なフォルムでありながら、〝何となく〟ではない緻密さやアイデアが散りばめられた作品は、使い手の暮らしにそっと寄り添ってくれる優しさに満ちている。
自宅兼工房には、生木の器の他に独立した頃から作り続けているクルミやウォールナットを使った器やアクセサリー、無機質なキッチンやデスクに温かみをプラスしてくれる木の小物も並ぶ。磁石やゴムを組み合わせて機能性を追求するなど、遊び心に満ちた作品が多い。
「日常生活の中で、こんなものがあったらいいな」という使い手の目線から生まれたアイテムは、磁石を巧みに用いるなど機能的で暮らしを楽しくしてくれます。
木との〝あうん〟の呼吸で生み出される器
温もりの中に用の美を表現する木工作家
プロフィール
木もの NAKAYA(こもの なかや) 中矢嘉貴さん
素直にまっすぐ、竹と向き合い続ける -竹千代工房【愛知県名古屋市】
名古屋市のとある住宅街の一角。竹細工を作る小林真弓さんの工房を訪ねると、ひごと呼ばれる竹細工の材料を作る作業の最中だった。太い竹筒に竹割り包丁をかざし、カンカンと竹を割る。わずか1cm前後の間隔に入れた目印の切り込みに刃を当てると、それほど力を加えなくとも、歪むことなく一直線に裂けていく。その潔く、まっすぐな切り口を見ていると、「竹を割ったような性格」とは、言い得て妙であると実感する。
ひごは、皮の部分のみを使用するために、0.1mm単位まで調整しながら、均一の薄さに削られる。その後、幅や厚みを整え、節取り、面取り、2枚剥ぎなどいくつもの細やかな工程を経て、筒の状態からは想像もつかないほどしなやかな状態へと仕上げられる。そして、ひと目ひとめていねいに手作業で編み上げられ、頑強で繊細な籠やざるなどへと、自在に形を変えていく。
小林真弓さんが竹細工に魅了されたのは、十数年前。百貨店で開かれていた工芸品展で竹工芸に出会い、ひと目でその美しさのとりこになったとか。 良質な竹の産地であり、古くから竹を使った工芸品の産地である別府へ単身で渡った小林さんは、大分県の竹工芸訓練支援学校で竹細工の基礎を学び、伝統工芸士である森上仁氏のもとへ弟子入り。2年ほどの修業期間を経て、名古屋へ帰郷して工房を開いた。
竹細工を始めて10年余り。「まだまだ新人です」と笑う小林さんだが、彼女の作品は艶やかな竹の美しさ、幾何学模様のような伝統柄の雅さを漂わせ、手業ならではのぬくもりと、竹細工特有の力強が伝わってくる。そして何より、これから共に過ごす日々に思いを馳せると、使い込むほどに色合いを変え、経年変化を遂げていく竹細工の「成長」に胸が躍るのだ。
「竹細工に親しみのない若い世代の人にも、竹細工の魅力や使う喜びを知ってほしい。例えば洋服に竹籠を合わせてもすごくおしゃれだし、北欧家具の上に何気なく置いても、竹はすごく馴染む。今のライフスタイルにも取り入れられるような、洗練感のあるアイテムを作っていきたいですね」と話す小林さん。しかし一方で、「でも……」と、はにかみながら言葉を添えた。「でも、実は周りの人からは『背伸びしておしゃれにしなくてもいいんじゃない?』とも言われるんです。だから、私らしく素朴さを忘れずに作り続けていきたい」
一瞬にして竹細工の美しさに魅了された10数年前。以来、変わることなく、素直にまっすぐ、竹と向き合い続ける小林さん。おだやかな笑顔の内に潜む芯の強さで、日本が誇る伝統工芸と現代の暮らしをつないでくれる。 一瞬にして竹細工の美しさに魅了されれ、以来変わることなく、素直にまっすぐ、竹と向き合い続ける小林さん。
しなやかな竹細工に魅了
竹細工特有の力強が伝わる
素朴さのある竹細工
プロフィール
竹千代工房 小林真弓さん
おだやかな笑顔の内に潜む芯の強さで、日本が誇る伝統工芸と現代の暮らしをつないでくれる。
- 2025.03.05
- 16:09
ストーリー